池田の自然とオオウラギンヒョウモン



 1996年に池田市緑のセンターから、「池田の蝶」のパフレットを作る話がありました。4月に発行するため、資料の収集を急がなくてはなりません。自分自身のデータはほとんどコンピュータに入力してあるのでそちらは困りません。しかし、客観的な情報にするには、他の資料も調べなくてはなりません。昆虫の古い文献などを探しました。ところが、できた原稿を必ず以前から調べておられる方にも見てもらおうと思いながらとうとう期限がきてしまいました。
 戦前から「池田の蝶」を調べておられる方がおられます。どうしても見ていただかなくては、と思っていたのが宇保町にお住まいのj.n.さんです。先日、パンフレットの内容を検討していただきました。そして、あの池田の「オオウラギンヒョウモン」の古い記録についてもうかがってみました。
 「池田では、採集した記憶はありません。」少しがっかりした返答でした。しかし、戦前に、箕面市では採集されたことがあるそうです。一か所は、高山道(今は、ダムの下に沈んでいます)、そして、もう一か所が大阪青山短期大学の周辺だったそうです。池田市で採集していないのは、数は多くなくてもこの蝶はいつでも採集することができるし、あまり昆虫採集をする人の興味の対象になるような蝶ではなかったからです。他の昆虫を調べておられる方からも同様の声を聞きます。


 かつて池田にも生息していたツマグロキチョウ(川西市の笹部で1989年9月23日に採集されたものです)


 池田市との境からは、ほんの数百メートル…しかも、池田市の古い植物の記録を調べると、池田市側には草原に見られる多くの植物の記録があります。現在、池田市では絶滅したとしか考えられない「ツマグロキチョウ」もごくあたりまえに生息していたと思われます。残念ながらやはり池田市での記録を確認することはできませんでした。ただ、ずっと以前にある中学校に池田市に生息している蝶の標本を二箱寄贈されたことがあったそうです。ひょっとするとその中には、今の池田市には生息していない蝶が入っているのかも知れません。しかし、まずその標本は粉になってしまっていると思われます。学校では標本の管理をする余裕はありません。そして、その当時の標本箱は、今の標本箱ほどカツオブシムシなどから標本を守ることはできない構造でした。
 『手塚治虫さんは、池田市でこの蝶とも出会っていたのではないか』…池田での生息が確認できない今では答えを出すことができませんでした。