手塚治虫さんとオオウラギンヒョウモン



 「手塚治虫さん」と「池田の自然」を調べていると、手塚さんと関わりがあった方がもっとおられることが分かってきました。もちろん、手塚治虫さんにとっての最初の親友であり、今もあの同窓会の世話をしておられる方や、同級生、同窓生の方々が市内には何人もおられます。
 この「池田の自然」で手塚治虫さんを紹介する予定は始めからあったあったわけではありません。池田の自然について、様々な池田市周辺の自然について詳しい方から原稿を書いていただこうと考えていました。しかし、手塚治虫さんの話だけでもなかなか終わりそうにありません。
 ところで、「手塚治虫さん」と「池田の自然」の初めに紹介したように、手塚治虫さんはどなたもご存じだと思いますが、「オオウラギンヒョウモン」という蝶については、ほとんど知っておられる方はないと思います。
 「宝塚市立手塚治虫記念館」に入ってすぐ左に幼少年期の紹介などがあります。その中の「昆虫日記」に手塚治虫さんが1942年10月4日から1943年10月23日までに採集しておられた「蝶類目録」が展示されています。その71番目に「オオウラギンヘウモン」の記載があります。

  奈良県の神社などが世界文化遺産に登録されています。若草山は、山焼きで有名ですが、『草原』の環境を残す数少ない場所でもあるのです。これを祝うため、人文字で観光PRを行うことになりました。その後、この人文字が行われたかどうかについては確かめていません。植物生態学の著名な方が異議(若草山の環境の保全こそが大切なことではないのか)を唱えておられたのですが…。
 若草山は、この蝶の有名な生息地でした。今は、絶滅してしまっています。池田市周辺では、川西市一の鳥居、神鍋山、木津川河川敷、そして若草山…この四か所が最後まで残った生息地でした。吹田市や高槻市の記録も残っています。もちろん、すべての場所で絶滅しました。私は、若草山の標本は、1975年に採集されたものを一頭だけ持っています。自分で採集することが不可能だと思った時に昆虫標本の販売会でみつけたものです。それほど前に絶滅したわけではないのです。神鍋山で最後に生息を確認されたのは、当時大阪大学の学生だった方でした。1984年7月21日のことです。それ以降のここでの記録は知りません。現在、日本全体では「隠岐」・「秋吉台周辺」・「霧島周辺の自衛隊演習林」に生息地が残っているだけです。北海道を除く全国の『草原』で見られたチョウは、今、姿を消そうとしています。
 身近な絶滅のおそれのある昆虫というと「オオムラサキ」や「ギフチョウ」などがマスコミの話題になります。しかし、オオウラギンヒョウモンのようにごくふつうに生息していた昆虫が、絶滅の危機にあります。なぜこのようなことがおこるのでしょう…。

 


若草山に生息していたオオウラギンヒョウモン
(地震で標本箱が落ちたため破損がひどくなりました)