1991年から1995年の記録



 これまでにも、緑のセンターの「五月山・しぜんのたより」などでタヌキの情報が紹介されていました。それらの記録と、自分の少し古い記録をまとめてみると次のようになります。

1991年3月12日
 ハイキングコースを横切る2匹(夫婦連れ?)に出会う。

1991年3月12日
 五月平高原コースを、わきめもふらず横切る、2匹のタヌキに出会いました。後ろのタヌキは、おなかが大きかったようです。もうすぐかわいい子ダヌキに出会えるかも。

1991年13月3日
 五月山テニスコート北側の府道で、タヌキが車にはねられて死んでいました。今年、タヌキの死体が見つかったのは、緑のセンターでわかっているもので4匹目。

1992年3月5日
 府道でタヌキがはねられて死亡。

1992年4月18日
 市民の森近くのドライブウェイでタヌキがはねられて死ぬ。

1992年7月16日
 ドライブウェイで、車にはねられて死んでいた。
 年間、数匹が、交通事故の犠牲になっている。

1992年7月16日
 市民の森近くで、タヌキが車にはねられて死ぬ。3月、4月に続き、今年になって3匹目。

1992年9月14日
 最近、新町・室町・槻木でよく見られている。2匹いるらしい。

1992年10月12日
 城の堀の草刈りしていた人から聞いたのですが、そこでタヌキに出会ったそうです。巣穴もいっぱい見つかりました。最近、「生き物と共存する街づくり」の話題を聞きますが、タヌキと共存する街なんて、楽しいじゃないですか。

1992年11月25日
 朝、北豊島中学校の近くで、交通事故の犠牲になったタヌキを見つけました。職場でそのことを話すと、「タヌキにばかされたのとちがうか。」と笑われたのですが…。まちがいなく大きなタヌキでした。
 Sさんから連絡を受けて、市の葬祭場に聞いてみました。確かにタヌキで、その後、12月1日に引き取ったものを含めると、今年になって事故死したタヌキの処理は、7匹になるそうです。公園管理センターで処理した3匹を加えると、なんと10匹のタヌキが交通事故の犠牲になっています。たくさん事故死したことを悲しむべきでしょうか、それとも、まだ身近に数多く生息していることを喜ぶべきなのでしょうか。

1993年1月23日
 五月丘の人が、家を訪れる五月山の動物達の写真を見せてくれました。タヌキとキツネが、仲良くエサを食べているます。以前は、日中明るい時でも訪れてきたのですが、最近は夜しか来ないそうです。彼らを驚かさないためにも、犬を連れて五月山を散歩するときは、必ずつないで歩きましょう。

1993年6月23日
 大阪府の豊能自然保護事務所に、住民から、増水した八王寺川でタヌキの子供を親が助けようとしているとの電話がありました。現場にいってみましたが、無事に姿を消した後でした。街の中でも結構たくましく生きているものですね。
 雨で水かさが増えた八王寺川で、親のタヌキが流されそうと連絡がありました。親ダヌキの鳴きかたが異常なので近くの家の人が心配して電話してくれたのですが、無事に姿を消していました。情報を聞きつけたテレビ局が、二つも撮影にやってきたのには驚きました。

1993年9月24日
 市立歴史民俗資料館近くの池田箕面線で、タヌキが車にはねられて死んでいると連絡がありました(93.10.20)。9月24日には五月山の愛宕神社近くのドライブウェイで、10月初めには池田病院の近くで、11月5日には市民の森近くでも死んでいたと連絡がありました。タヌキにとって、自動車はもっとも危険な敵になっているのではないでしょうか。

1993年10月20日
 市立歴史民族資料館近くの池田箕面線で、タヌキが車にはねられて死んでいるとの連絡がありました。9月24日には五月山の愛宕神社近くのドライブウェイで、10月初めには池田病院の近くで、11月5日には市民の森近くでも死んでいたと連絡がありました。タヌキにとって、自動車は最も危険な敵になっているのではないでしょうか。

1994年1月16日
 谷を登りつめ、尾根筋を歩き始めてから、ちょっと道を間違えたのですが、なんとそのおかげで、タヌキのタメフン場に出くわすことができました。たくさんの糞が集まって、山積みになっています。中にはビニールまで混じっていました。

1994年4月29日
 午後6時30分頃、天神保育所の用水路のところをタヌキが歩いていた。近づいたらにげていった。どこかでかっていたのかな。

1994年5月27日
 渋谷2丁目の道路の側溝に、2匹連れのタヌキがいました。しばらくこっちをながめてから排水管の中に入っていきました。ほとんど水の流れないところなので、巣にしているのでしょうか。こんな身近にタヌキが住んでいるとは…。

1994年8月29日
 城山町のFさんの家では、3日程前から毎日のように2匹のタヌキがご飯を食べに来ているそうだ。親子連れではないかということだった。
 以前、城跡にタヌキがいるという話が「しぜんのたより」にのっていましたが、城山町に住む池小6年のFさんの家では、3日程前から毎日タヌキがご飯を食べに来ているそうです。槻木町や新町でも目撃されることが多いのですが、ひょっとすると城跡から出かけているのかも知れませんね。タヌキが来てくれるなんて楽しいですね。

1994年9月26日
 池小6年城山町のFさんの話では、タヌキは、4頭いるらしい。夕べもご飯を食べに来たそうだ。

1994年10月26日
「がんばれタヌキ」
 10月26日、新町のかたから、「タヌキを保護しました。」と連絡がありました。行ってみると、国道沿いの駐車場の裏で、動けなくなったタヌキが、へたりこんでいます。それでも手を出すと、ワァウーと牙をむくだけの元気は残っていました。なんとかオリに押し込んで、獣医さんに連れて行ったのですが、腰を強打したのか後ろ足が全く動きません。その日は点滴を打ってもらい、植物園で様子を見ることにしました。
 以下、2日目から16日目までの記録がある。…省略…
 エサはパン・果物・ブタまん・フライドポテト・チキンの唐揚げドラ焼きなど…雑食だけあってなんでも結構食べている。

1994年11月18日
 またまたタヌキの話
…11月18日には、五月丘小学校の4年生が来て、「この前、塾の帰りに五月丘で見たよ。」「ぼく、茶臼山公園で出会ったことあるよ。」と口々に教えてくれました。…

1994年11月29日
 懇談が終わってからFさんのお母さんにタヌキのことを聞いた。
 夏には、多いときには5匹が裏に来ていたそうだ。近所の人の話では、多いときには7匹いたということだったらしい。最近は、1匹ずつ来ているらしい。
 この頃、インペリアル池田の駐車場周辺や小さい方のテニスコート周辺でも夜の11時頃にエサを求めて歩く姿が見られるらしい。

1995年1月5日
 朝キツネに出会ったと連絡がありました。以前は夫婦連れらしく2匹いたのですが、最近は連れ合いをなくしたのか、1匹だけになったそうです。「公園(鉢塚3丁目・水月公園)隣の墓地の住まいを、年末できれいに整地されたので、どうなったのか心配していたのですが、近所に新しい家を見つけたのでしょうか。聞くところによるとタヌキも出没しているようです。」化かされないように気をつけてください。

1995年2月15日
 弱ったタヌキがいるので保護してほしいと連絡がありました。行ってみると、庭で丸くなってうずくまっています。抱き上げると、やせ衰えて軽いのにびっくり。獣医さんに点滴を打ってもらって、一晩暖めて寝させたのですが、次の日死んでしまいました。残念。(新町勤労者センター)

1995年3月6日
 北豊島小学校の4年生が、園芸高校の実習園で学習をしました。春が始まる庭で、イタチ、テン、タヌキのふんを確認しました。タヌキは、そこらへんによく落ちていた白い実を食べているらしく、ふんの中には皮が残っていました。毛も入っていたのでタヌキと判明。前に石橋西団地のあたりで死んでいたタヌキは、園芸高校の住んでいたのかも知れませんね。


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