オオクワガタ

1971年7月19日、1匹のオオクワガタのおすをつかまえました。大変古い話で申し訳(もうしわけ)ありません。箕面市(みのおし)の下止々呂美(しもとどろみ)でのことです。25年も前になります。その時は、オオクワガタの採集ではなく、オオムラサキをとりに行ったついでにつかまえたものです。
オオムラサキをとりに行くと、台場(だいば)クヌギのなあなからオオクワガタのあごがちょっとだけのぞいています。いつもはひっぱってもとれそうになかったのですが、その時はあごがいつもより出ていたのでひっぱって取り出すことができました。それほどしんけんになってつかまえようと思ったわけでもないので大きさもきちんと記録(きろく)していませんでした。しかし、大きいなあ、と感じたので6cmはあったのでしょう。あごの形がおもしろく、おこらせてはそのあごの上にえんぴつをおいて遊んでいました。
昆虫類は、直射日光(ちょくしゃにっこう)のあたるところで飼(か)ってはならないのですが、夏の暑い日に、つかまえた印象(いんしょう)が強く、日のあたる場所で飼っていましたので1か月ほどで死んでしまいました。
数年後、昆虫の説明を書くことがありました。ところが、クワガタムシを書くにもほとんど採集に行っていないので書けません。しかたなく、クラブの子どもに絵をかいてもらいました。ひさしぶりにオオクワガタをとってみたくなりました。そのころは、クワガタムシのくわしい本がほとんどありませんでした。たしか大阪府立大学の生物部によく調べている人がいた。その人に聞いてみよう。
1987年3月28日、miw.氏から連絡がありました。幼虫は、立ち枯れの台場クヌギなどの…。説明を聞きながら、ふと思いつく場所がありました。池田市立細河小学校がマラソンコースに使っていた山の中の道の横にちょうどそのような木がありました。
次の日、ひさしぶりにマラソンコースだったところに行ってみました。冬にクワガタムシの採集に来るのは初めてです。小さななたしか持っていないのでとても木はけずれるものではないと半分あきらめながら2-3回たたいた時、小さなクワガタムシの食痕(しょっこん)があらわれました。もう少しけずると幼虫の体が見えました。話の通りです。このときに小さなクワガタムシの幼虫を5匹つかまえました。野外で採集した最初で最後のオオクワガタの幼虫になりました。
そのころは、幼虫を飼う(かう)方法がよくわからなかったので、コーヒーのびんにマットとクヌギのかけらをつめて1本に1匹ずつ幼虫を入れました。マットの湿り(しめり)ぐあいをどれほどにするとよいのかもよく分かりませんでしたので、なかなか成長してくれません。しかし、1年もたつとおしりのもようから5匹ともめすであることは分かりました。確率(かくりつ)からいって全部がめすになることはめったにないのですが、おしりには、はっきりと白いもようがあります。
なんとかして成虫のクワガタムシをつかまえたい。そうだ。あの枯れた台場クヌギに幼虫がいたのだから、当然その横の大きなクヌギに成虫がいるに違いない。よし、夏の夜のオオクワとりに行こう。
1988年8月13日、2匹のめすのオオクワガタをつかまえました。野外で採集した昆虫のめすは、ふつう交尾(こうび)をすませているのでふやそうと考えるときにはおすをとるより繁殖(はんしょく)にはいいのです。
その場所ではその後、おすを1匹採集しました。1年に数匹ずつ姿を見るだけですが、必ずオオクワガタのいる木が見つかって大喜びでした。
1996年8月、学級の何人かの子どもをつれてひさしぶりにその場所を訪(おとず)れました。大きなクヌギは、枝が切られて少し小さくなったような気がしました。すぐ近くにあった幼虫のすんでいたクヌギは2-3年前に根っこからほりおこされてバラバラにくだかれてしまっていたのでオオクワガタにはすみにくい場所になっています。
やはり、オオクワガタに会うことはできませんでした。しかし、小さなコクワガタは何匹もつかまりました。カブトムシもとれました。1人に数匹ずつつかまえられればいいと思っていたのでほっと胸をなで下ろしました。
この下止々呂美は、数年前までコクワガタやカブトムシを数えるのがめんどうになるほど採集できた場所でした。しかし、今ではそれほどはとれなくなりました。必要のなくなったクヌギはどんどん切られています。クワガタムシの子ども達の成長の場所である枯れたクヌギも採集をする人によっては全部くだいてしまいます。
今、家には、10数匹の成虫のオオクワガタとその幼虫がいます。毎年子ども達にあげるので、夏の終わりにはふやすための親しか残っていません。ほしいという予約だけは次の年に残ります。飼っているものが死んでしまうと次の次の年にあげられなくなるので油断(ゆだん)ができません。


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